ハロー!ロバート・パーマー!

ブルーアイドソウルヴォーカリスト、ロバート・パーマーのファンブログ

イマジネーションさえあれば可能性は無限大(ミュージックライフ 1979.2)

ミュージック・ライフ 1979年2月号


パーマーさんインタビュー@NY


「ダブル・ファン」が最新作の頃。「次の作品はもっとロックになる」とのことなので「シークレッツ」のことを指すのでしょう。確かにシークレッツはかなりロックなアルバムですな。


ツアー中のインタビューみたいで、ニューヨークのホテルの一室でインタビューが行われた模様。ダブルファンツアーとかあったのかな。
私がいくつか読んでいるインタビューでよく語られているのが、部屋が家っぽい(使い方)、とか、カセットテープがたくさんあるとか、プレイヤー・レコーダーがあるとか、そんなの。だからなんだというところでもある。


ツアー中はポラロイド写真を撮ったり奇妙な雑誌を集めているらしい。イラストや映画の話でも盛り上がったみたい。
そのインタビューの当日の夕方にはナッソーに戻るらしかったが、リラックスした空気でインタビューは進んだ、とある。英国人らしくお茶をのみながら~~~なんて。


相変わらずパーマー節炸裂。いろんなジャンルやってるけど、どうなの?に対していろんな音楽が好きなんだからいいじゃん好きなようにやりたい、っていうやつ。うん、そこが好き。だから魅力的なんだよなあ。ファンだからね、仕方ないね。
あと、ファンを大切にするというか、自分の音楽を聴いて楽しんでくれる人、を大切にしているよね。(自分の音楽を聴いて楽しんでいる=ファンともいえるけど。)




ライブ映像がほとんどないので実は…というところもあるかもしれませんが、聞く限り、パーマーさんはあまりMCをはさまず、メドレーのように曲をつないでいくライブのスタイルをとってるんですよね。
確か、永続性を大事にするというファンクのライブ形式を踏襲しているみたいで、雰囲気作りの一つなんでしょう。それは、パーマーさん曰くDJみたいな感覚だそうで。


www.waxpoetics.jp


例えば、こういう記事もあるように、こういったものは「繋ぎ」が重要とのこと。間髪入れずに曲を繋げる(または必要に応じて曲間を作る)ことで空気感を生み出し、心地の良い環境を作っている。曲繋ぎに失敗することに結構シビアなのは心地よい環境に水を差すということで、ディスコ・クラブDJの技量は曲の繋ぎにかかっているようです(なのでDJというのもファンクのライブ形式を踏襲していると言える)。
だから、パーマーさんもそういうことをかなり考えてセットリストを組んでいたようです(まあ、アーティストのみなさんはそうなのかもしれないけど)。
音楽のスタイルは変わっても、ライブのスタイルは変えなかった。そこにパーマーさんのソウルに対する姿勢が見えてきますな。そこがいいんですよ、根底にあるものはソウルってところが。かっこいい。




とまあごたごた語りましたが、このインタビューは今まで読んできた中で一番パーマーさんのことについてコンパクトにまとまっているし、内容もわかりやすい。日本のリスナーへの紹介として完璧な記事でした。






さて、これ。


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なんて書いてあるのかよくわからない。

On hearing on ??ol heat
I looked up in the direction
From where the s??nd had come
And saw only the silver moon in the grey dawn



私にはこう見えるのですが、合ってますでしょうか。
?マークは読み取れなかったところです。
何かの歌詞なのかな…




著作権的に全文載せるのはアウトなので、内容を簡単にまとめました。でもネタバレを多聞に含むので一応たたんでおきます。ちゃんとした文を読みたい方は読まずに買いましょう笑 古本屋に結構あるよ!


ではたたみます。









ツアーの話

アメリカ中心のツアー?
大都市だけでなく中西部の中小都市にもまわった。大都市は宣伝がしっかりしているが、中小都市は自分のことを知らない人も多い。そこで演奏し楽しんでもらえることはファンの人たちが来るライブとはまた違った満足感がある。

音楽遍歴

マスコミに取り上げられるのはいいがイメージ付けされてしまうのを懸念している。音楽のみならずカテゴリに分けられるのは好きではない。そういう風になったのも音楽歴が関係しているかも。
幼少期は父親が軍人だったのでマルタ島に住んでいて、世界各国の人に囲まれて過ごしていた。子どもも少なかったので、大人たちについていってはピクニックやパーティーを楽しみ、学校にはほとんど行かなかったのだが、イギリスに帰ると窮屈に感じた。のびのびと過ごしたマルタでの日々をモータウン・ミュージックに見出したのかもしれない。15歳のときに聴いたモータウンが音楽の原点。特に好きだったのはオーティス・レディングマーヴィン・ゲイジェームス・ブラウン

ここにいたる道のり

もともとはグラフィック・デザイナーを目指しアート・スクールに通っていた。その学友達と結成したのがマンドレークス。その後アラン・ボウンに見出されて1年半ほど在籍したがその後ダダに加入。それから、何人かのメンバーとロックに重点を置いたヴィネガー・ジョーを結成した。ヨーロッパでは人気があったが、R&Bをやりたかったので1974年に脱退した。前々からクリス・ブラックウェル(アイランド・レコード)が協力してくれるというのでデモテープを持っていき、アルバム制作のため渡米した。
R&Bを録音するにあたって、ニューヨーク、ニュー・オリンズボルチモアという場所は絶対だった。狙いを瞬時に理解してくれるミュージシャンと仕事をしたかったから。ローウェル・ジョージリトル・フィート)とはファーストアルバムで一緒になり、気が合ったのでセカンドはリトル・フィート全員に協力してもらったが、その後はやりたいものの方向性が違ってきてしまったのでそれきり。

カテゴリ分けについて

(レゲエとかソウルとかいわれるけど、ジャズ、ファンク、バラードと色々な要素がある音楽を作っていますねに対し)
常に色々なものを体験しているので、僕の音楽を枠に当てはめようとしても意味が無い。この頃はディスコ、ファンク要素のある音楽ばかりで飽きているし、今はロックに興味がある。最近はよりによってビートルズをよく聴いていて結構気に入っているので、次のアルバムはロックっぽいものになると思う。今までの僕とは想像のつかない、音楽的に荒っぽいロック。ヴィネガー・ジョーは否定的でシニカルだったけど、肯定的でロマンティックな音楽をやりたい。

今度のイギリスでのライブについて

ヴィネガー・ジョー以来のライブなのでオーディエンスの反応に興味がある。イギリスは一つのスタイルに人気が出るとそればかりになるが、別のスタイルに人気が出るとそれまでのものが突然消えてしまう、という傾向があるように思う。ライブできるようになったのもパンクムーブメントが落ち着いてきたからなのかな笑

音楽とは

オーディエンスと一緒に楽しむのが音楽。ライブでは曲単位でなくそのものの時間の雰囲気をつくりどのように楽しむかを考えてセットリストを組んでいる。アルバムを作るときもライブも、変わっていく流れの中からこれはと思ったものをチョイスしていく。今、その楽しさを見出しているところ。