ハロー!ロバート・パーマー!

ブルーアイドソウルヴォーカリスト、ロバート・パーマーのファンブログ

命日(18.9.26)と年の最後に



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雨の強まる9月26日。私はとあるお店へ向かっていた。
場所は六本木。ビートルズ好きなら知らない人はいない、伝説のライブバー。その名も「アビーロード」。


なんと、ロバート・パーマー、幾度かの来日の際にはほぼ毎度立ち寄っていたらしい。確認できる限りで一番古い来店が1999年12月。その次が2000年12月、そして2003年7月。
Abbey Road 六本木 ビートルズ ライブハウス アビーロード Live Performance of The Beatles' Music
サイトによると毎年12月は日本で過ごしていたともある。もしかしたら写真は撮られなくてもこっそり来ていたのかもしれない。


9月26日の命日に、粛々と過ごすのもいいけれど彼の思い出に触れてみるのもいいかな、という思いと、久々に行きたいな、という気持ちが重なったのでこの日に行くことにした。生きている姿を一度も見たことがない私にとってはこういう作業がとても大切なこととなる。


そもそも、アビーロードは一度は訪れたことがある。ビートルズを研究(?)するサークルに属していたのだが、サークル員なら一度は行っておかないといけないような、そんな場所なのだ。もちろん、看板バンドであるパロッツも知っている。前回観にいったときもパロッツだった。(数年前、フロントマンのチャッピーさんが亡くなったと聞いて驚いた。余談ですがチャッピーさんは見た目も歌い方もすごくスタレビ根本要さんに似ていると勝手に思っていました。ご冥福をお祈りいたします)



後輩よりも先に着いたので一人でぼーっと聴いていたが、やっぱりビートルズは良い。そして初期は特に。今回もタイミングよくパロッツが出番だった。初新生パロッツを観られるのも嬉しかった。
アビーロードの利用の仕組みとしては、ドリンクや軽食を楽しみながら演奏を聴くことができる。開店から閉店の時間の間に4回公演があり、聴きたい曲のリクエストを受け付けてくれる。
私も例に漏れず「Baby's In Black」ほか2曲をリクエスト。命日なので、「Baby's In Black」。わからない人は調べてみてください。なんとリクエストが通ってしまった。とても嬉しかった。ちなみにほかの2曲は、パーマーさんがカバーした「Not A Second Time」と「The Long And Winding Road(Naked版でと注釈つき)」。これは通らず。後輩は「I Need You」リクエストして採用してもらっていた。




実は、事前の問い合わせで支配人さんに「どんな曲やったか教えて欲しい」と超絶くだらない質問をしていた。にも関わらず、当日丁寧にお答えいただいた。


  • 他のときは覚えてはいないけれど2000年の時には「Money」(with ポール・ギルバート)をやっていた
  • 結構よく来てくれた
  • 何かのライブの後、デュランデュランのメンバーを連れてきたことがあったが、ライブ営業終了時間を過ぎていたので寄らずに帰っていった
  • かっこいいですよね



というエピソードを教えていただいた。かっこいいですよね、は余計だが、全くもってその通りなので記載した。
ロゴマークのもしゃもしゃの前でパーマーさんが歌っていたと思うと胸がいっぱいになった。そうか、ここで歌っていたのか。めちゃくちゃ距離近いじゃんか。胸がいっぱいになるってこういうことだったんだな。
渋谷公会堂は建て替え、新宿厚生年金ホールはもう無い、中野サンプラザも取り壊しが決まった今。彼のライブした形跡が残る数少ない場所を数年のときを経て訪れることができた。もはや私にとってビートルズの聖地ではなくRPの聖地がアビーロードなのである。
店を出たときにも雨は重く降り続けていた。とにかく寒かった。ほぼ最終に近い電車に飛び乗り、涙ぐみながら帰路につき、再生ボタンを押すとタイミングよく「She Makes My Day」がかかってきた。余計泣けるじゃないか。




「ここ」に「居た」んだ、という嬉しさが勝ってはいたが、同時に存在しない人のことを考えている寂しさとむなしさも感じたことは否めない。特別な日ではあるけれど、特別、と言っていいのか。別にお祝いでもないのに。
普段RPについてつぶやいていない人もこの日ばかりは「命日だ」とにわかに盛り上がる。好きな人、たくさんいるんじゃん!と嬉しく思う反面、命日以外に彼を思い出すタイミングは無かったのか?とも思ってしまう。生きていれば、新作やツアーの発表などで多くの人の気付きを得ることができるけれど、もはや彼には「命日」というイベントでしか思い出してもらえないのだろうか…
それでも少しでも思い出してもらえるように、こうやって細々とやっていくしかないのかもしれない。何かのタイアップがついたり何かの拍子に再評価の流れがきたり。そのときに備えて私ががんばるしかない。誰かの目に留まるまで。どうも大きなことを言ってしまっているけれど、そこまで義務感は感じていないのでゆっくりやっていこう。











この文は色々考えすぎて、気付いたら年末になってしまった。これ、行った週には書いてたんですよ。ほんとほんと。でも文才はないから、それっぽい文にしてもそうはならないですね。文章力が欲しい。


もし、生きていたら、今年の12月も日本にいたのかもしれない。こんな寒い極東の地によく来てくれていたね。ありがとう。嬉しいです。でも生きてくれていたらもっと嬉しいんだけどなあ。






今年の3月にブログを始めて、なんだかんだで12月まで続けることができました。想定外に仕事が忙しくなって、集めた資料の整理もままならず、かといって勉強も同時並行で進めないといかん状態ではありますが、できることだけ、まず、細々と続けることができました。ブログを始めたりツイッターを始めたことで音楽の話をしたり英語の添削をしていただいたりと、新しい出会いが少しずつ増えてきてネットってすげえなあと思う次第です。また、協力してくださる方にも頭が上がりません。みなさま本当にお世話になりました。来年も良い年にしましょうね。


そして来年はもっと、パーマーさんに出会う人が増えますように。




(パーマーさん関係ないけど)

This Will Be Our Year - The Zombies